仮想の海に揺蕩う竣工直後、公試前後の時期の姿で再現された大和型戦艦「大和」

VRで蘇った戦艦大和と生存乗組員の出会い

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by [2016年8月04日]

1941年12月16日の竣工直後、公試前後の時期の姿で再現され、仮想の海に揺蕩う大和型戦艦1番艦「大和」

1941年12月16日の竣工直後、公試前後の時期の姿で再現され、仮想の海に揺蕩う大和型戦艦1番艦「大和」

有名な「ニイタカヤマノボレ1208」の電文と共に日米が開戦した直後に1番艦「大和」が竣工し、翌年8月に2番艦「武蔵」が竣工したものの、1944年10月のレイテ沖海戦で「武蔵」が戦没、1945年4月の沖縄特攻作戦「天一号作戦」途上に「大和」が航空攻撃によって撃沈されてこの世から消え去った、大和型戦艦。

日本のみならず世界の戦艦史上でも最大の排水量(基準排水量64,000t、公試排水量68,200t)と最大の主砲口径(46cm)を記録したものの、遂に艦隊決戦の状況下で敵戦艦(※注1)との交戦を行わなかったが故に、その真価を発揮すること無く終わってしまったこの戦艦については、竣工前から徹底的な情報の秘匿が行われ(※注2)、更に戦後それらの情報の破却・焼却が行われたこともあって、その実像については今なお明らかで無い部分が少なからずあります。

 ※注1:アメリカ合衆国海軍最後の戦艦シリーズであるアイオワ級戦艦など。
 ※注2:軍縮条約の下で世界の「ビッグセブン」と呼ばれた7隻の超弩級戦艦の一角を占めた長門型戦艦2隻(1番艦「長門」および2番艦「陸奥」)が、「陸奥と長門は日本の誇り」とカルタに書かれるほど戦前の日本国民に親しまれたのと対照的に、この大和型2隻(「大和」および2番艦「武蔵」)はその主砲口径がより低い値に偽装されるなど徹底的に情報の秘匿・偽装が行われたこともあって、その存在が広く知られるようになったのは第二次世界大戦の終結後かなり経ってからの話です。

都竹卓郎(元)大尉のVR戦艦大和乗艦を伝えるCAMPFIREのプロジェクトページ

都竹卓郎(元)大尉のVR戦艦大和乗艦を伝えるCAMPFIREのプロジェクトページ

そんな大和型戦艦をVR空間内で蘇らせよう、という株式会社神田技研さんのプロジェクトについては、これまで何度かご紹介してきましたが、このほど、本物の大和型戦艦1番艦「大和」に乗り組んでおられた都竹卓郎(元)大尉にVRの「大和」に乗艦・コメントしていただいたことが同社から発表され、合わせて都竹氏が体験されたVRの「大和」をOculus Riftで体験できるデモが公開されました。

都竹氏の本当に貴重な証言を含む体験中のコメントについてはCAMPFIREの同プロジェクトページで公開されている動画をご覧いただくとして、ここではこれまでよりも格段にブラッシュアップされたVR「大和」について見てみることにしましょう。

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まずは全体像

前方より眺めたVR「大和」艦首アンテナマストからのアンテナ線が張り巡らされ、俄然「らしく」なってきた

前方より眺めたVR「大和」
艦首アンテナマストからのアンテナ線が張り巡らされ、俄然「らしく」なってきた

一目見て気づくのは、前回筆者がデモ展示を拝見した際にはなかった通信アンテナ線をはじめとする各種ケーブル・ワイヤーの架設がきちんと行われて絶縁碍子も備わるなど、これまでよりも格段に密度感が向上したことです。

特に艦首直上に立った細いマストから艦橋を経て艦尾まで延びる長大なアンテナ線群は千葉県船橋市行田にあった海軍無線電信所船橋送信所の巨大なアンテナ群などとの間で通信するための、つまり総司令部から遠く離れた地点で活動する軍艦にとっては必須の装備であり、これがきっちり張り巡らされた時点でようやく、この艦は戦力化できるようになったと言えます。

また、これまで再現が及んでいなかった細かな器具のディティールの密度が向上しており、空だったワイヤーリールにワイヤーが巻き取られるなど、地味に「生きた」艦の再現が進んでいます。

砲身に仰角をつけつつ旋回できるようになった主砲塔

左舷方向へゆっくりと旋回しつつ砲身に仰角をつけてゆく「大和」の1番・2番砲塔1番砲塔は甲板面と同じ高さに置かれている

左舷方向へゆっくりと旋回しつつ砲身に仰角をつけてゆく「大和」の1番・2番砲塔
1番砲塔は甲板面と同じ高さに置かれている

今回のデモである意味白眉となるのが、45口径46cm砲3連装の主砲塔で、砲塔そのものがゆっくり旋回しながら砲身が順番に仰角をつけてゆくシーンです。

大和型戦艦の主砲塔は水圧装置によって旋回するようになっているのですが、何しろそれ単独で駆逐艦1隻分はあるという大変に重い代物(※注3)で、回転速度は毎秒2°あるいは3°(※注4)、つまりぐるっと半周するだけでも60秒~90秒もかかってしまいます。

 ※注3:砲塔1基あたりの重量が2,510 tで、これは陽炎型駆逐艦1隻の公試排水量に匹敵します。また、この砲塔では主砲の砲身1門あたりの重量が165 t、主砲弾1発で重量が約1.5 t(徹甲弾の場合)もあって、特にその砲身は通常の手段で輸送できなかったほどでした。そのため、砲身を製造する呉海軍工廠砲熕部から2番艦「武蔵」を建造していた三菱重工業長崎造船所や3番艦にあたる「信濃」(110号艦。後に計画変更で建造中に空母へ改修)を建造していた横須賀海軍工廠などへ輸送するだけのために、わざわざ専用の設備を備えた特務艦「樫野」を建造する必要(実は「信濃」の空母化はこの「樫野」の撃沈・喪失による呉から横須賀への砲身輸送の困難化と無縁ではありません)がありました。
 ※注:このあたりの数字についてはある程度までは絞れるものの、諸説があり定かではありません。

各砲が最大仰角の「大和」2番砲塔砲塔下の台座が前部の1番砲塔よりも持ち上げられて砲塔旋回時に砲身が干渉しない構造となっている

各砲が最大仰角の「大和」2番砲塔
砲塔下の台座が前部の1番砲塔よりも持ち上げられて砲塔旋回時に砲身が干渉しない構造となっている

以前のデモ展示ではこのあたりの主砲の動きは再現されていませんでしたから、こうして主砲塔が旋回し砲身が仰角をつけて遙か彼方の敵(※注5)に照準を合わせるシーンが見られるだけでも、筆者などにとってはぐっとくるものがあります。

 ※注5:大和型戦艦の45口径46cm砲(つまり砲身内部の空間の直径が46cmで全長が約20mの砲)の場合、その砲弾は計算上最大で42,000 m先の敵を攻撃できたとされ、測距儀や第1・第2艦橋の置かれた檣楼が喫水線、つまり水面からの高さ40 mを超え、甲板からでも10階建てのビル並の背の高い構造物となっていたのも、この恐ろしく長い射程距離に対応するためでした。

ディティールの密度感が飛躍的に高まった艦橋回り

「大和」の檣楼(前部艦橋)最上部の防空指揮所を除き、測距儀下の第1艦橋もその下の第2艦橋(夜戦艦橋)も全て窓ガラスのある密閉構造となっており、大和型の試作の役割を果たした金剛型戦艦2番艦「比叡」(近代化改修後)以外の日本の戦艦とは異なった構造となっている。

「大和」の檣楼(前部艦橋)
最上部の防空指揮所を除き、測距儀下の第1艦橋もその下の第2艦橋(夜戦艦橋)も全て窓ガラスのある密閉構造となっており、大和型の試作の役割を果たした金剛型戦艦2番艦「比叡」(近代化改修後)以外の日本の戦艦とは異なった構造となっている。

大和坂と呼ばれた1番砲塔から檣楼付近にかけての傾斜の付いた甲板を進むと、頂部に日本光学製15.5 m測距儀を備えた前部艦橋が見えてきます。

大和型戦艦の特徴として、都竹氏の証言にもありましたが主砲の砲撃時に生じる爆風がその場に立っている人を吹き飛ばして殺してしまうほど凄まじい衝撃波を発生させること(※注6)から、長門型戦艦までの従来型戦艦ならば盆踊りの櫓よろしく解放的な構造だった各艦橋や操作員が剥き出しの状態だった対空砲塔などがことごとく密閉構造となっていたことがあります。

 ※注6:このため主砲の砲撃時には甲板上の乗員を安全な場所へ待避させるため、警報のブザーを鳴らすようになっていました。

「大和」の15.5cm 3連装副砲塔「副砲」と呼ばれているが、最上型軽巡洋艦に搭載されていた時代は立派な「主砲」であった

「大和」の15.5cm 3連装副砲塔
「副砲」と呼ばれているが、最上型軽巡洋艦に搭載されていた時代は立派な「主砲」であった

この檣楼周辺は重要部ということもあって対空火器やその管制装置などが密集して設置されているため、その多様な形状や工夫を凝らした配置で見ていて飽きないのですが、それ以上に目を引いたのが、左右両舷の甲板上に鎮座する15.5 cm 3連装副砲塔です。最上型軽巡洋艦の主砲塔交換とこれによる重巡洋艦へのクラスチェンジで余剰となった砲塔を改良し、当初は檣楼周辺の前後左右に計4基が搭載されたこの砲塔、大和型の弱点だと言われたりレイテ沖海戦直前に左右の2基を降ろして代わりに対空兵装を搭載されたり、と散々な評価なのですが、この砲塔のディティールが異様なほど高密度になっています。

装甲板の接合部の溶接痕や砲塔上面への梯子、砲塔後部の測距儀など、ある程度写真資料が残っていたおかげもあってか、素晴らしい再現度になっています。

水上観測機が搭載された後部飛行機格納庫周辺

零式水上観測機の置かれた後部甲板後方中央が水上観測機を吊り上げ甲板下の格納庫との間で出し入れを行うためのジブクレーン、その両脇のトラス桁状の機器が呉二号五型カタパルト(火薬式)である。水上観測機が載っている台車がターンテーブルの設けられた線路上にあることから、この台車と水上観測機がワイヤーでつながれているだけのただ「載っている」状態で、砲撃の爆風にはひとたまりも無いことがよく分かる

零式水上観測機の置かれた後部甲板
後方中央が水上観測機を吊り上げ甲板下の格納庫との間で出し入れを行うためのジブクレーン、その両脇のトラス桁状の機器が呉二号五型カタパルト(火薬式)である。水上観測機が載っている台車がターンテーブルの設けられた線路上にあることから、この台車と水上観測機がワイヤーでつながれているだけのただ「載っている」状態で、砲撃の爆風にはひとたまりも無いことがよく分かる

副砲塔脇を通り抜けると飛行機格納庫が設置された後部甲板です。

ここにはレールが縦横に敷かれて左右2基の火薬式カタパルトと1台のジブクレーンが設置され、レール上の台車には零式水上観測機一一型(F1M2)が積載された状態となっています。

さて、この水上観測機周辺を見渡してもどこにも飛行機格納庫などないようなのですが、実は格納庫は甲板の下にあって、ジブクレーンで水上偵察機を吊り上げて出し入れする構造となっています。

何故こんな面倒くさそうな構造となっているかと言えばやはり主砲の衝撃対策で、3番砲塔直近のこの位置に剥き晒しの無防備な状態で水上観測機を係留していた場合、砲撃で水上観測機が破壊、あるいは最悪で吹き飛ばされて海上に叩き落とされてしまう恐れがあったためです。

ちなみにこのジブクレーン、帰投した水上観測機が海面上に着水・停止した後で吊り上げて回収するためにも使用されますから、この艦が水上機を搭載する限りは必須の設備なのです。

乗組員が登場した防空指揮所周辺

乗員の姿が見える「大和」檣楼上部、防空指揮所周辺こうして見ると檣楼の形状の複雑さと共に、艦の大きさからすると意外とコンパクトな、けれども恐ろしく背の高い「塔」であることに驚かされる。ちなみに艦載レーダー(二号一型電波探針儀)のアンテナが未搭載であることから、1941年12月の竣工直後からレーダー搭載改造までの時期の姿であることがわかる。左手前に突き出している日本光学製15.5 m測距儀は水平に旋回して目標との間で三角測量を行い彼我の距離を測定、これを基礎として砲撃に必要なパラメータを算出する仕組みになっている

乗員の姿が見える「大和」檣楼上部、防空指揮所周辺
こうして見ると檣楼の形状の複雑さと共に、艦の大きさからすると意外とコンパクトな、けれども恐ろしく背の高い「塔」であることに驚かされる。ちなみに艦載レーダー(二号一型電波探針儀)のアンテナが未搭載であることから、1941年12月の竣工直後からレーダー搭載改造までの時期の姿であることがわかる。左手前に突き出している日本光学製15.5 m測距儀は水平に旋回して目標との間で三角測量を行い彼我の距離を測定、これを基礎として砲撃に必要なパラメータを算出する仕組みになっている

今回のデモでは、「大和」の外周を回るその最後に、防空指揮所周辺で白い軍服に身を包んだ乗員達(※注7)が登場します。

 ※注7:防空指揮所中央に1人だけ紺色の第一種軍装に身を包み制帽を被った人物がいますが、これは2代目の高柳儀八艦長(※建艦中の「大和」で艤装委員を務め、慣例通り初代艦長となった宮里秀徳大佐は竣工直前に転任しています)でしょうか。

何というか、こうして動く人が登場しただけで、これまであまり実感が湧かなかったスケール感がひしひしと押し寄せてきます。

同時に、いくら対空防御で全周視界の確保が必要だったにせよ、こんな無防備な防空指揮所で働いていた、つまり敵機からの機銃や爆弾による攻撃を受ける危険と常に背中合わせだった乗員達は一体どんな覚悟でここに立っていたのだろうかと考えさせられます(※注8)。

 ※注8:もっとも、帝国海軍の戦艦艦長は海戦の状況を一目で見渡せるこの手の露天艦橋で指揮を執ることを好んだ人物が多かったと伝えられており、アメリカ海軍のように艦で最も安全な艦体中央のバイタル・パート内に設けられたCIC(Combat Information Center:戦闘指揮所)で作戦指揮を行うという発想は出てきませんでした。

遂に再現された艦橋内部

「大和」の艦橋から艦首方向を俯瞰するこうした景観を自由に得られるだけでも、VR「大和」には大きな価値がある

「大和」の艦橋から艦首方向を俯瞰する
こうした景観を自由に得られるだけでも、VR「大和」には大きな価値がある

最後にシーンが切り替わって現れたのは、艦橋内部でした。

第1艦橋内部については呉市の「大和ミュージアム」に実物大のレプリカが展示されているのですが、そこでは窓越しに艦首方向を見下ろす、といった形で艦の各部を眺めることはできませんから、これはもうVR「大和」の特権と言って良いでしょう。

絶望的な戦況の中で特攻作戦に出撃し、この「大和」と運命を共にした有賀幸作艦長をはじめとする歴代乗員や、やはり天一号作戦の際に同乗しこの艦と運命を共にした伊藤整一第二艦隊司令長官らが見たのと同じ光景を見ることができる。これまで、戦記の短い簡潔な記述でしか知ることのできなかった光景が、自由に、それも望む視野で得られる。

第二次世界大戦の戦史や戦記に興味のある方ならば、この価値が理解していただけるものと思います。

これまでも何度か言ってきましたが、これほど雄弁にVRの有用性を物語ることはないでしょう。

順調にブラッシュアップされていて完成が本当に楽しみ

以上、今回都竹卓郎(元)大尉のVR「大和」乗艦ニュースに合わせて公開されたOculus Rift用デモを見てきましたが、以前見たときよりも格段に情報量が増して存在感が強まっており、完成が楽しみでなりません。

そして同時に驚かされたのが、都竹氏のあまりに詳細かつ生々しい証言の数々です。VRで「大和」に乗艦したことで記憶が刺激されたこともあるのでしょうが、レイテ沖海戦で3番砲塔が使用されなかった経緯など、現場にいた人間で無ければ思いも寄らないような、そして当時の状況を見事に活写した今回の証言には正直驚きのあまり言葉もありません。

現場を前にすれば不鮮明な記憶も思い出される事がある、というのは筆者の実体験でも何度もあったことですが、既に存在しない「大和」の場合はこれまでその手が使いようがなかった訳です。

それが、VRとは言え実物大の「大和」が再現されたことでこうして生存乗組員の方からこれまでにない証言を引き出せるのであれば、もう時間的猶予は殆ど残されていませんが、オーラルヒストリーの記録という意味でこのVR「大和」には大変な価値が生じることになるでしょう。

そういう意味で、今回の企画は今後のVRの発展・利用方法の模索にも大きな影響を与える可能性があると言えるでしょう。

▼参考リンク
「戦艦大和VR復元計画 VRトレーラー(予告編)」公開&元大和乗組員・都竹卓郎大尉にVR大和に乗艦いただきました! – CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

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