「大阪e―お薬手帳」公式サイトトップページスマートフォン以外での利用を全く考慮していないことがここからも見て取れる。現状で電子版「おくすり手帳」の「事実上の標準(デファクトスタンダード)」に最も近いサービスである。

電子版「おくすり手帳」の今を考える

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by [2015年5月29日]

神奈川県公式サイト内の「かながわマイカルテ」紹介ページ現在日本国内でサービスが提供されている電子版「おくすり手帳」の一例。

神奈川県公式サイト内の「かながわマイカルテ」紹介ページ
現在日本国内でサービスが提供されている電子版「おくすり手帳」の一例。

「薬は過ぎれば毒となる」「薬は身の毒」あるいは「薬は匙加減」といった薬の乱用を戒めることわざが古来より多数伝わっていることが雄弁に物語るように、現在市販あるいは使用されている薬には、その飲み合わせや服用量、服用回数によっては立派に毒として機能してしまい、服用者を死に至らしめる恐れがあるものが多数含まれています。実際、薬と毒の関係を示すことわざの中には反対に「毒薬変じて薬となる」、つまり毒薬も使い方次第で薬となることを示すものもあって薬と毒の関係は紙一重なのです。

「薬」であるか「毒」であるかというのは所詮人間の主観による判断(※注1)であって、人間の延命に役立つものが「薬」、人間の寿命を縮める恐れのあるものを「毒」と便宜上呼んでいるに過ぎないという話もありますが、それはそれとしても、薬というのは大変に効能のコントロールの難しいものです。

 ※注1:同じことは「腐敗」と「発酵」のプロセスにも言えます。人間にとって有益で無い生成物ができるものを「腐敗」、酒や酢など有益な生成物が得られるものを「発酵」と言っているのに過ぎないのです。

極端な話をすれば、ある人がA病院でαという病気の特効薬として薬1が処方され、B病院でβという病気の治療薬として薬2が処方された場合に、これら2種の薬を同時に飲んだら体内で重篤な副作用が発生してしまい、病気が治るどころか副作用が原因で亡くなってしまった、といった悲劇も十分起こりうるものなのです。

実はこの悲劇、日本で1993年に発売されたばかりのある新薬(※注2)で立て続けに起きて大問題になったことがあって、その反省から病院での問診の際に他の病院で処方された、今服用している薬の徹底確認がなされるようになり、それと合わせて各患者に対して各病院で処方された薬を一覧記録する「おくすり手帳」の導入が徐々に行われる様になりました。

 ※注2:帯状疱疹治療薬として開発されたソリブジンのこと。この薬は抗がん剤であるフルオロウラシルとの併用で致死的な副作用が発生し、発がんの告知が一般的に行われていなかった当時の社会情勢もあって併用が認識されることがほとんどなく、発売後わずか1年間に15人もの犠牲者を出してしまいました。この問題が無ければ、つまりこれらの薬の間での併用禁忌の周知が徹底されてさえいれば他の薬で得られない優れた効能を備えていたのですが、販売会社のインサイダー取引スキャンダルに巻き込まれたこともあって、最終的に販売会社の自主的な判断で市場から引き上げられ、以後医療の現場で利用されなくなりました。

むしろ、近代西洋医学が日本に導入されてからとうに一世紀以上を過ぎたこの時期になるまで、そうした問題が十分認識されることも無いまま放置されていたことの方が驚きではあるのですが、ともあれ1990年代中盤以降、日本の医療では複数の医療機関にまたがった患者の服薬状況の把握が行われるのが当たり前になっていったのです。

以後、日本では2度の大震災でこの「おくすり手帳」は患者個人のカルテすら喪われてしまったような状況下において大きな威力を発揮し、たくさんの人命を救う役割を果たし、その間の2000年にはその効果を認めた国による公的な制度化が行われました。

もっとも、紙の手帳に記録する方式では紙面の制約もあって処方箋を書いた医師の意図するところを完全に伝えることは難しく、また手帳の紛失の問題やそもそも日常的にこれを携帯する人が少ない、という問題が常につきまといます。

Google Playで「お薬手帳」を検索した結果。直接関係しないものも含めてもこれだけのアプリが登録されており、関心の高さを物語る。

Google Playで「お薬手帳」を検索した結果。直接関係しないものも含めてもこれだけのアプリが登録されており、関心の高さを物語る。

このため、近年ほとんどの人が常時携行している携帯電話やスマートフォン上でこの「おくすり手帳」を実現しよう、という電子化の動きが急激に強まりつつあります。

実際、GoogleストアやAppストアで「おくすり手帳」をキーワードに検索してみると結構な数のアプリが引っかかり、ユーザーと開発者の双方がこの種のアプリやそのサービスに大きな興味と関心をもっていることがみてとれるのですが、実はこれ、現時点ではそこでやりとりされるデータの授受の手順が完全に標準化や統一されていなかったりします。

林立するローカルな電子版「おくすり手帳」

「大阪e―お薬手帳」公式サイトトップページスマートフォン以外での利用を全く考慮していないことがここからも見て取れる。現状で電子版「おくすり手帳」の「事実上の標準(デファクトスタンダード)」に最も近いサービスである。

「大阪e―お薬手帳」公式サイトトップページ
スマートフォン以外での利用を全く考慮していないことがここからも見て取れる。現状で電子版「おくすり手帳」の「事実上の標準(デファクトスタンダード)」に最も近いサービスである。

現在日本の各地で利用されている電子版「おくすり手帳」で恐らく最も実用化が先行したのは、大阪府薬剤師会が企画・開発した「大阪e―お薬手帳」です。

これは、2011年3月の東日本大震災で被災地に大阪府から緊急医療チームが派遣された際に、「おくすり手帳」の効用が改めて確認されると共に、大災害から逃れる過程でこれを喪った患者が非常に多く、その一方で携帯電話はほとんどの人が持って逃げていたことから電子化が着想されたものです。この「大阪e―お薬手帳」は単純にスマートフォンに「おくすり手帳」の情報を記録するだけでなく、データ同期サービスも提供していて、その記録内容をサーバに保管し、そちらを薬局で参照できるシステムも構築されています。

このサービスは2013年2月から箕面市で試験運用を開始し、その後大阪府内で本格的な普及が進んでいるだけでなく、現在は京都府をはじめとする大阪府に隣接する各府県の市町村や、高知県など周辺エリアでも徐々に普及が進んでおり、西日本ではこれが電子版「おくすり手帳」のデファクトスタンダードとなりつつあります。

なお、今年発表された日本薬剤師会の「日薬版電子お薬手帳」はこの「大阪e―お薬手帳」との間で服薬情報などを相互に利用閲覧可能な形態での開発開始が発表されており、今後は全国規模でもこのサービス(および互換サービス)の普及が進むことになります。

これで「大阪e―お薬手帳」のデータ授受方式やデータフォーマット全般が標準となれば話は簡単なのですが、大手調剤薬局チェーンや機器メーカー、あるいはシステム開発メーカーなどの思惑も絡むためそう単純な話では済まなくなっています。

そのため、2013年5月から藤沢湘南台病院で実証実験を開始した神奈川県の「神奈川マイカルテ」、川崎市薬剤師会がソニーなどの協力を得て開発した「harmo」、それに大手薬局チェーンのアインファーマシーズがNTTドコモと共同開発した「アインお薬手帳」などあちこちでそれぞれ独自に電子版「おくすり手帳」の開発と実用化の研究が進められていて、全国各地の薬剤師会や薬局チェーンが同時多発的に競って車輪の再発明にいそしむ様な状況となってしまっています。

「harmo(ハルモ)」トップページ「カードにタッチするだけ」と利用の容易性をアッピールしているが、右下に「患者とソニー株式会社間の利用規約」という項目があって、特定企業の技術に強く依存したサービスであることが図らずも示されている。

「harmo(ハルモ)」トップページ
「カードにタッチするだけ」と利用の容易性をアッピールしているが、右下に「患者とソニー株式会社間の利用規約」という項目があって、特定企業の技術に強く依存したサービスであることが図らずも示されている。

これらは例えば「harmo」だと、まずharmoサービスに加盟している薬局に処方箋と保険証を持って行って「harmoカード」というICカードを登録・発行してもらい、利用の度にそのカードを薬局のICカードリーダーで読み取らせる、というシステムを基本としています。

つまり、この「harmo」はソニーの開発したICカードでの利用が基本になっていて、スマートフォンでの利用は二の次となっているわけです。

実際、このサービスの場合はアプリの利用に当たってもharmoサービスに加盟している薬局等で利用登録が必要となっていて、そうそう気軽に利用できる様なシステムとなっていません。

他の各サービスでも状況は似たり寄ったりで、機器メーカーやシステム開発メーカーの持つ「得意技」が存分に生かされている反面、露骨な市場囲い込み的展開も行われています。

標準化への道

さすがに、肝心要のデータフォーマットそのものについては保健医療福祉システム工業会(JAHIS)が先に「電子版お薬手帳データフォーマット仕様書」を制定して基本的な部分での標準化が図られたため、やりとりされるデータのフォーマットが各サービス間でそれぞれ全く異なり互換性が無い、という最悪の事態は回避されています。

また、薬局側から患者へのデータ提供についても、厚生労働省が「薬食総発0131第1号」として2014年1月に厚生労働省医薬食品局総務課長名で保健医療福祉情報システム工業会に二次元バーコード(QRコード)の利用によるシステムの導入促進を依頼することで事実上この部分での標準化が実現しています。

もっとも、これまで述べてきた様な囲い込み政策もあって「おくすり手帳」アプリは混沌とした状況となっていて、特に調剤薬局チェーンが主体となって関わっているものだと、そのチェーン独自のサービスを利用している場合にデータに独自拡張が行われていて、他の調剤結局チェーンなどでは対応・調剤できないケースがあったりします。

つまり、自分の使っている調剤薬局でデータの授受に対応しているアプリで無ければ使えなくなってしまっているのです。

一方、薬剤師・薬局サイドからのボトムアップでのこうした動きに対し、政治の場でもこれに対応する動きが生じ始めていて、昨年自由民主党が公開した「政策集2014:J-ファイル」で「電子お薬手帳の普及を強力に進める」という文言が盛り込まれました。

つまり、現在の政権与党からも「おくすり手帳」の電子化とその積極的な普及促進が政策課題として認識される様になったということで、電子版「おくすり手帳」の普及は新たな段階に入ったと言えます。

こうなってくると、普及に当たってやはり問題となるのが電子版「おくすり手帳」の標準化・共通化です。

パソコンのOSやアプリがそうであったように、電子版「おくすり手帳」でもデータやそのアクセス方法に相互互換性を確保することは必須条件であると言え、特に特定の調剤薬局で無ければ調剤できないようなデータの記法などはもっての他ですし、各サービスでばらばらに実施されているクラウドサービスについても、一定の枠組みを作って利用者データの(個人情報の流出の無い形での)共有化が必要となってきます。

全国どこの薬局へ行っても同じようにそこの薬局の薬剤師が利用者の持つスマートフォンに記録された、あるいはどこかのクラウドサーバに保存された「おくすり手帳」のデータに問題なくアクセスでき、なおかつそこに記載された処方に従えばどこの薬局でも同じように調剤できるようになっていなければ、保健医療の一環としてこの種のシステムを構築・標準化する意味がありません。

実際、現在の状況では複数のサービス内容が異なる電子版「おくすり手帳」を扱う調剤薬局チェーンが併存しているエリアで、何らかの事情でこれら異なった調剤薬局チェーンを複数利用しているような場合だと、薬局チェーンごとに異なる電子版「おくすり手帳」を利用せざるをえず、「おくすり手帳」を利用する最大の目的であるはずの服用薬歴が薬局チェーンごとに別々管理となって、飲み合わせの問題への対処で深刻な問題を引き起こす危険性すら生じてしまっています。

正直、これでは一体何のために「おくすり手帳」を電子化するのかわかりません。

服薬履歴を一本化して管理するための「おくすり手帳」が二重化や三重化して利用者の服薬履歴の全体像がそれぞれの「おくすり手帳」で把握できなくなるのでは、全く本末転倒でしょう。無論、二重化・三重化した状態でも利用者自身が手作業でそれぞれの不足する服用薬歴を登録することで電子版「おくすり手帳」の多重化による差異を解消するのは可能ですが、これもまた利用の容易化を目指す「おくすり手帳」の電子化の趣旨からすると恐ろしく本末転倒な話です。

果たして、厚生労働省もこうした諸問題を深刻と判断した様で、先日産経新聞で報じられたところによれば、厚生労働省は「おくすり手帳」の仕様を共通化させ、全国各地のどこの薬局でも対応できるよう標準仕様を検討する方針を定めたとのことです。

現状でのシステム的な互換性のなさというのは、かつての国産独自規格パソコンにおける囲い込みと同じような発想で、ユーザーの利便よりもそのサービスの開発に携わった機器メーカー等の利益を優先してしまった結果と言え、こんなところで足踏みをしていると、またぞろ国際規格を標榜する国外メーカーの規格に一掃・支配されてしまうことになりかねません。

まぁ、現行の「おくすり手帳」が日本の保健医療制度と密接に結びついて成立するシステムであることを考慮すれば、ことはそう簡単にゆくとは思えないのですが、Appleがこのところヘルスケア関係に注力していることを考えるととうてい油断はできず、いつどこから「黒船」が襲来するか知れたものではありません。

過去の各種市場・規格での教訓・反省は他山の石とすべきでしょう。

▼参考リンク
大阪e-お薬手帳
かながわマイカルテ – 神奈川県ホームページ
電子お薬手帳harmo(ハルモ)
電子お薬手帳サービス:アイングループの調剤薬局|アイングループ
「電子版お薬手帳」配布ページ | 「電子版お薬手帳」配布ページ(日本薬剤師会の開発による「大阪e-お薬手帳」対応アプリ配布ページ)

総務省|四国総合通信局|医療用ITシステムを開発する松山市のベンチャー「PSC」の御紹介 ≪全国の過半数の国立大学病院で使用≫
大阪府/「大阪e-お薬手帳」事業について
おくすり手帳を 活用しましょう – 京都府(PDFファイル)
高知e-お薬手帳事業薬局・薬剤師様向け説明資料(PDFファイル)
「どこでもMY病院」構想の実現 説明資料(PDFファイル)
電子版お薬手帳の現況(日本薬剤師会提出資料)(PDFファイル)
お薬手帳説明資料 – NPhA 日本保険薬局協会(PDFファイル)
政策集2014 J-ファイル(PDFファイル)

JAHIS | 保健医療福祉情報システム工業会 » JAHIS技術文書13-103(JAHIS 電子版お薬手帳データフォーマット仕様書Ver.1.1)
「JAHIS電子版お薬手帳データフォーマット」に対応したシステムの導入について(依頼)(PDFファイル)

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