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「江夏の21球」に凝縮されたスポーツの魅力~なぜスポーツは人をひきつけるのか?【前編】

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by [2014年11月27日]

 私たちはスタジアム、体育館、球場、河川敷、あるいはテレビの前で様々なスポーツを見て一喜一憂するが、それはどうしてなのか。ほとんどの人は、こんな疑問を思い浮かべながらスポーツを見ることはないはずだ。

株式会社文藝春秋 ナンバー局 スポーツ・グラフィックナンバー編集長 松井一晃氏(右)

 大日本印刷が開催した次世代コミュニケーション展2014では、そんな疑問をテーマにしたスポーツ雑誌Numberによるセッション「なぜスポーツは人をひきつけるのか? 雑誌『Number』に見るスポーツコンテンツの魅力と広告ビジネス展開」が行われた。その内容を前編と後編にわけてお送りする。前編はNumber編集長、松井一晃氏が語った「スポーツコンテンツの魅力」だ。

▼後編はこちら
Numberにしかできない広告タイアップ企画

「江夏の21球」に凝縮されたスポーツの魅力

 Numberは、1980年の4月1日に創刊されました。この表紙にある江夏豊さんは、Numberにとってもレジェンドと言える存在です。この創刊号には、山際淳司さんに寄稿して頂いた「江夏の21球」が掲載されています。
 「江夏の21球」は、1979年の近鉄vs広島の日本シリーズ第7戦の9回裏、無死満塁1打逆転サヨナラのピンチを、江夏さんがいかに切り抜けたかを描いたものなんですが、この作品にはスポーツの面白さの重要な2つの要素が見事に描かれています。
 1つが、日々の鍛錬の積み重ねによって発揮される超人的な技です。江夏さんはサウスポーですが、あの時カーブを投げようとしてカーブの握りのままとっさに(ストライクゾーンを)外したんです。ということは、球を打者に近い場所で離さないとできなかったはずなんです。ボールをギリギリまで持つあの見事なフォームを成し遂げられる超人的な技術というのは、かなりの努力を積み重ねなければできないと思います。
 もう1つが、極限の修羅場になって現れてくる人間の強さや弱さです。「江夏の21球」を担当した創刊号編集長が江夏さん自身から聞いた話です。無死満塁のピンチになったとき江夏さんが急に不機嫌になったそうなんです。それに気づいたファーストの衣笠祥雄さんがマウンドにやってきて、「お前の気持ちは分かっている。お前がやめるなら俺もやめる」と。というのも、無死満塁のピンチで江夏さんがマウンドにいるにも関わらず、当時の古葉監督がブルペンに行って後続のピッチャーを用意していたんです。江夏さんは打たれたらマズイというより、「お前は俺のことを舐めてるのか、俺がこんなピンチを抑えられないとでも思っているのか、1年かけてやってきたのは何だったんだ。こんな監督信用できない」と思ったと言ってたんですね。あんな場面でこんなことを思う江夏さんもすごいと思ったんですが、それをファーストにいながら感じ取った衣笠さんの観察力もすごいですよね。こうした土壇場で、人間は勝負以外にこんなことも考えるのかということに驚かずにはいられません。

スターに助けられた黎明期

 Number創刊以前のスポーツ報道は、ゲームの勝ち負けや監督の技術・処世術・組織運営術として語られるということが多かったんです。ですがNumberは、人間の真剣勝負から見えてくるドラマを当事者の証言をもって描くというのが、創刊以来35年変わらない編集方針なんです。
 とはいえ、1980年の創刊からずっと売り上げを伸ばしていたわけではありません。創刊当時は、一大キャンペーンを行ったものの最初の数号は非常に厳しい数字が続いていて、社内でも心配する声が上がっていたというのが正直なところです。それを打ち消して最初の完売となったのが、創刊5ヶ月目のヘルメットを飛ばして空振りする現役時代の長嶋茂雄さんが表紙のNumber10号でした。
 当時、長嶋さんは巨人の監督だったんですが、監督としてはうまくいっていなくてクビになるんじゃないかという報道があったところに「長嶋茂雄へラブコールを!」というタイトルで1冊まるごと長嶋さん特集というのをやったら、瞬く間に完売してしまったんです。もしこの第10号がなかったら、Numberは80年代半ばで途絶えていたかもしれません。長嶋さんは、1994年の通刊333号のときにも、当時のデスクが巨人軍に頭下げにいったところ、3番のユニフォームを着てバットを振って表紙になってくれたんです。あと2014年の春にプロ野球80周年記念号を850号でやったんですが、そのときは松井秀喜さんと2ショットで出ていただきました。いつもの声で「Numberと言ったら長嶋ですから」とありがたいことを言ってくださいました。長嶋さんのような時代を象徴するようなスポーツ界のスターがいなければNumberはどうなっていたかわかりません。

スポーツブームに後押しされて

 その後80年代後半に入ると、日本の好景気と伴ってスポーツブームが来たことでNumberの認知度もあがっていきました。その意味でNumberが助けられた人物というと、日本人初のF1ドライバーとなった中島悟さんとオグリキャップと一緒に競馬ブームの立役者となった武豊さんになります。この2人のパイオニアの存在が、Numberの躍進に繋がったと思います。
 90年代前半に入っていきますと、日本人のスポーツへの関心は世界のスーパースターへと広がっていきます。Numberも、F1のアイルトン・セナやNBAのマイケル・ジョーダンの特集をするようになりました。またそれと同時に日本国内のスポーツ界でも、1993年春のJリーグ開幕とその秋のドーハの悲劇といった大きな出来事がありました。Jリーグが日本で最も注目されるスポーツとしてサッカーをこの国に定着させ、日本には何年かかっても無理と言われていたサッカーワールドカップの出場に、あと数十秒というところまで近づいたドーハの悲劇。このドーハの悲劇はサッカーのみならず、日本人の全てのスポーツ選手たちに改めて「世界と勝負する」という意欲を植え付けたと私は思っています。

 90年代後半には、サッカー日本代表がフランス大会の本選出場を決め、Numberでも前半にゴールを決めた中山雅史選手が表紙になっている432号で「We did it!」というタイトルで特集を組みました。この号は二度増刷しまして実売約41万部を記録しました。これは35年に渡るNumberの歴史の中で最高部数となっています。ちなみに野人と呼ばれた岡野雅行選手がゴールを決めたことで出場が決定になったんですが、実は当時の技術ではデジタルデータで写真を送信できなくて、現地とのやりとりには時間がかかりました。そのため締め切りの関係で、表紙の写真は前半終了までのもので作らなくてはならなかったのです。

世界で活躍する日本人たち

 2000年代、日本人の海外進出は、当初の「挑戦」から「勝負」の時代に入っていきます。イチロー選手と中田英寿さんは、2000年代を象徴する日本人であり、オリジナルなアスリートです。イチロー選手は、ジャパンオリジナルな技術とスピードで、アメリカでも圧倒的な存在感を見せ付けます。中田さんは言動も含めて注目されました。「ピッチの中で先輩に対して『~さん』と呼んで咄嗟の時にボールを取られたらバカバカしい、呼び捨てにした方がチームのためだ」といった当たり前の主張をすることで、日本のサッカー界はおろかスポーツ界の既成概念を破壊し新たな価値観を創造しました。さらに2000年代というと、そんな2人がリードした日本代表チームの躍進がありました。野球では2006、2009年とサムライジャパンがWBCで連覇し、サッカーでは2002年の日韓ワールドカップで決勝トーナメントへ進出しました。2000年くらいまで、日本代表を応援するということがあまりなかったように思うんですが、ここが転換期だったのではないでしょうか。


 2010年代に入ると、日本人の世界での活躍が加速していきました。ソチ五輪では、スノーボードの平野歩夢選手が15歳でありながら大舞台で堂々と飛び、フィギュアスケートの浅田真央選手はみんなを感動の渦に巻き込み、羽生結弦選手も見事な演技をしていました。Numberでも浅田選手とソチ五輪の特集を組み、表紙は2回続けて浅田選手でした。この2冊は今年の売り上げのトップ3に入っていて、彼女の人気の高さが伺えました。
 さらに夏にはブラジルワールドカップがあって、Numberは日本代表を取り上げました。本当は「この4年間は正解だった」という号が作れればよかったんですが「この4年間は間違っていたのか」というタイトルです。複雑な気持ちですが、今年一番売れたNumberです。ブラジルで結果は出ませんでしたが、本田圭佑選手、長友佑都選手、香川真司選手、内田篤人選手らは世界のトップクラブでレギュラーとなっていて、日本人が海外移籍するのは当たり前になってきています。2010年代からは、どのチームでどんな活躍ができるのかという時代になってきていると思います。野球の方では、ダルビッシュ有選手や田中将大選手など日本のトップレベルの選手は世界でもトップであるということを証明してくれています。

勝者には何もやるな

 Numberの歴史を振り返ってみると、スポーツが人を惹きつける要素というのは、日々の鍛錬によって身に付けられた超人的な身体性と、究極の舞台で繰り広げられる人間ドラマの二つに集約されると思います。スポーツは、ルールがあるから全力を出すことができ、だからこそ、必ず勝者と敗者が生まれて、それと共に人間の強さや弱さが喜びや悲しみが浮き彫りになります。そうした露わになる部分が、スポーツで感動が生まれる要素なのかなと思います。浅田選手に感激したというのも、彼女がどんな思いであの演技をしたのかが、言葉にしなくてもわかったからなのではないかと思うんです。ヘミングウェイは「勝者には何もやるな」と言いました。勝者は自分が鍛錬した結果を発揮し、達成感を得たのだから何もやる必要はない、敗者にこそ乾杯を、みたいな意味なんですが、浅田選手の演技を見て、その言葉を思い出しました。

後編「Numberにしかできない広告タイアップ企画」につづく

▼関連リンク
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次世代コミュニケーション展2014
次世代コミュニケーション展2014 – 大日本印刷

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