炎上

誰のため?を意識して、メッセージの”誤配”を防ごう-インターネットと人間行動

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by [2014年4月11日]

 インターネットが個人による情報発信のハードルを下げました。作ったものを多くの人に見てもらうことで、想定外の反応を得られることもあります。それがSNSの醍醐味でもあるのですが、お互いに嫌な思いをするのは避けたいもの。今回は、嫌な思いをせずに情報発信を楽しむコツについてお届けします。

コウモリ。ナンパしたフランス人と暮らす、非モテ・コミュ障・高卒ニート。世界と日本、社会と文化、恋愛とお笑いなどを図解するブログ「コウモリの世界の図解」を運営している。→http://rlee1984.hatenablog.com/ ツイッターはhttps://twitter.com/1984lee

 皆さんは、誰のためにコトバを書いていますか?
 自分のためですか、他人のためですか?

 コウモリは昔のことを想像して、あらためて不思議な気持ちになることがあります。
 日記は自分のため。手紙は他人のため。昔は誰に向けてコトバを書くかということが、すごく分かりやすかったと思うんですね。
 でも、いま。インターネットの世界で、その状況が様変わりしました。

あのひとのため?だれかさんのため?

 ブログに書いた日記は、大勢の知らないヒトにも読んでもらえる可能性があります。もちろん、手書きの日記だってその可能性はあったけれど、その確率が桁違いです。
 ツイッターのリプライも、大勢の知らないヒトにも読んでもらえる可能性があります。もちろん、切手貼った手紙だってその可能性はあったけれど、その確率が桁違いです。

 つまり、先ほどの分類で言えば、「他人」の範囲が変わったと思うのです。だれもが手軽に、不特定多数に向けたコトバを発することが出来るようになりました。梅田望夫さんは、このことを『総表現社会』と仰っていましたね。

 そのイメージを図にすると、こういう感じでしょうか。

でもね。不特定の「だれかさん」に向けてコトバを発することが一般化する中で、僕らが気付いたのは、「これって、メリットだけじゃないな」という感覚だと思うのです。

いろんなヒトがいる

 たとえば、ツイッターやブログで、こう書くヒトがいるかもしれません。
 「あーあ、体重が70kgになっちゃった。痩せなきゃ!」
 このコトバ、誰のためでしょう?

①じぶんのため

じぶんのいまの気持ちを吐き出すために、あるいはあとで気持ちを引き締めるために。

②あのひとのため

あるいは、友達や夫への宣言として。「今度こそ、私やるよ!」の意味で。

③だれかさんのため

あるいは、同じ思いを抱えるヒトのために。「共感してくれる人がいたら良いな、一緒にダイエット頑張ろうね!」の意味で。

 いろんな意味が入り混じったものとして、このツイートがあるかもしれない。ところがツイッターやブログなどのインターネット上では、「そんなコトバを見たくないヒトが、そのコトバを見てしまう」可能性も孕んでいる。

 つまり、こんなイメージ。

 ごくごく単純な典型例ですが、不特定のだれかさんの中には、「そのコトバを読みたい」ヒトもいれば、「そのコトバに興味ない」ヒトや、「そのコトバで不快になる」ヒトさえいます。

 見たくないと思っているだれかさんにまで、「コトバが届きすぎてしまう」。あるいは、本来の届けたい相手とは違う相手に、「コトバが誤配されてしまう」。それが、「炎上」などの問題につながっていると思うんですね。

残っていくコトバ

しかも、記録が残るから、昔の発言を掘り返されることも…。

 もちろん、コトバが残るということは、メリットもあります。思い出を振り返るのに使えたり、名刺代わりにできたり、あるいは将来、自分の孫の孫が、ルーツを辿るために読む、ということが起こるかもしれない。
 ただやっぱり、不特定の多くの人に読まれるということは、デメリットもある。そこで、ちょっと考えてみましょう。「不特定のだれかさん」って、いったいだれなのか、と。

だれかさんを、意識しよう

 さきほど確認したように、世界にはいろんなヒトがいる。どれだけ頑張って書いたとしても、「そんなの読みたくない」「そんなの興味ない」と思うヒトもいる。だから、「自分が伝えたい相手」と同じくらい、「自分が伝えない相手」のことも考えた方が良いと思うのです。
 なぜか。別の言い方で説明します。

 例えばコウモリは、自分の図を、100万人くらいに届けたいなー、と思っています。いまの10代の子の1学年が、そのくらいの人数です。でも、たとえそれくらい多くのヒトに届けたいと考えていたとしても、現実はこうです。

 たとえば日本語の読める100万人に届いたとしても、残り1億人が、興味ないor不快になる可能性があります。圧倒的に、「自分が伝えない相手」の方が、多いんです。

どうやって意識するのか

 じゃあ、どうやって意識するのか。
 その答えが分かっていれば、こんなに苦労しないよ、って思うのですが、いま、コウモリが暫定的に採用している方法を紹介してみますね。

リード文に書く

 コウモリはブログのリード文に、「だれのための記事か」を必ず書くようにしています。そうすると、自分がコトバを届けたい相手が、定まってくる気がするからです。手紙の宛名書きのような感覚です。もしくは、「だれのための記事ではありません」も書くときがあります。

だれかさんを、あのひとに変える

 コウモリは、自分の記事を読んでくれるヒトが何を望んでいるのか知りたい、と強く思っています。だから、他にはどんな記事にブックマークを付けるのか、前後でどんなツイートをするのか、どんなプロフィールか、余裕があるときに見るようにしています。特に、自分が予想していなかったようなコメントをくれたヒトなら、そうしています。そうすることで次の記事からは、「だれかさん」だった人が、「あのひと」に変わると思うからです。まだブログを始めて3ヶ月しか経っていないけれど、最初の頃に比べるとずいぶん、「この記事はあのひとに向けて書こう!」という具体的なイメージが湧いてくるようになった気がします。
 コウモリは、「あのひとだけのために」という書き方をすることが多いので、多くのひとに読んでもらえることは少ないけれど、そういうのって、平和で楽しいなーと思っています。PVを意識した記事は読んでもらいやすいのだろうけれど、コウモリとしては、「数字より、画面の奥にいるヒトを意識して、それぞれのヒトについて詳しく考えている方が楽しいのに」って思います。
 今回の記事は、その「アクセスの数字じゃなく、個別のWhomを見よう!」が出発点なのでした。

まとめ

自分か他人か。特定か不特定か。短期か長期か。「コトバの姿」が混じりあって分かりづらくなっているからこそ、もういちど、「誰のためのコトバなのか」を意識しなおす。

そのきっかけとして、ブログの冒頭に、「~~のひとへ」「~~はそっ閉じ(そっと閉じること)」などを書いてみる。
あるいは、「だれかさん」を「あのひと」に引き戻す。数字を個人に還元する。

それが、今回の提案でした。

この記事は、「コウモリの世界の図解」におけるそのコトバ、誰のために書いてますか?を改稿したものです。本記事を許可無く転載することを禁じます。

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