Crystal Semiconductor CS4231AWSS(Windows Sound System)互換音源チップの代表例。低コストでWindows 95対応PCM音源が実装できたため、広く普及した。

連載:ITエロ進化論「アダルトゲームに革命をもたらしたPCM音源と多色表示」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

by [2014年2月07日]

フルカラー(16777216色)表示とPCM音源の搭載・接続がほぼ当然となった昨今のパソコンやスマートフォンからは想像しにくいことなのですが、黎明期のパソコンやマイコンのグラフィック・サウンド環境は本当に貧弱なものでした。

640×200ピクセル、あるいは640×400ピクセルの解像度で同時8色ないしは16色表示。

そんな弁解の余地もないほど低解像度かつ少ない同時発色数の画面と、良くてせいぜい簡素なPSG(Programmable Sound Generator)、ひどい機種だとビープ音が鳴るだけのサウンド機能、というのが1980年代前半頃の日本におけるパソコンの標準的な姿でした。

そんな、原始的とも言える動作環境でもアダルトゲームを開発する人々も購入する人々も後を絶たなかった、というあたり何と言うべきか人間の業の深さを痛感させられるのですが、ともあれそんなハードウェア上でもアダルトゲームというジャンルは古くから存在していました。

今回は、そんな黎明期を脱し、高性能・高機能化が急速に進みつつあった1990年代前半のパソコンとアダルトゲームの関係について理解を深めてみましょう。

ビープ音からFM音源へ

1980年代中盤、アダルトに限らず以後10年にわたってパソコンゲーム全般に決定的な影響を及ぼしたデバイスが実用化されました。

それはFM音源。周波数変調技術を基礎として、様々な基準波を変調・合成することで任意の音を出力するこのデバイスは、多くのホビーパソコンに搭載されて大ヒットを飛ばしました。

YAMAHA YM2203C・YMF262-M
OPN(YM2203C:下段)はPC-9800シリーズ、OPL4(YMF262-M:OPL(YM3812)の後継モデル。上段中央)はIBM PCとその互換機に搭載されてそれぞれ広く普及した。

その効果は絶大で、店頭デモで再生されるYMOの「Rydeen」を聞いて、もはやザラついたPSGや、か細いビープ音に戻れない、と感じた人も多かったと思います。

FM音源ではアノ声は出せない…

そんなFM音源ですが、アダルトゲームでも早い時期からBGM再生に利用されるようになりました。

これは、アダルトゲームの主戦場となったPC-9800シリーズで、1990年以降主力のデスクトップ機にOPN(YM2203C)が標準搭載されたためです。

FM音源OPNを搭載したNEC純正のサウンドボードは既に1985年に登場していたのですが、この拡張ボードは定価25,000円と高価で1990年以前はソフトの対応があまり進んでいませんでした。

しかしOPNが主力機種へ標準搭載されたことで状況は一変しました。もっともこのOPNはFM音源としてはかなり貧弱でした。またFM音源では音色の指定から楽曲の入力までほぼ全てプログラミングによって行う必要があって、出来上がった楽曲データそのものはわずか数キロバイト程度で済むものの、その作成には大変な手間を要しました。

しかも、アダルトゲームで演出上、欠くことのできない女性の嬌声などは全く出力できず、またBGMでも重厚な分厚い音を出すのが苦手で、演出・編曲の双方で不満が残りました。

もっとも、人の声を出力したいという欲求を叶えるのは大変でした。なぜなら、人の声を破綻が出ない程度の音質で再生するにはPCM音源をはじめ、相応に高性能なハードウェアが必要だったからです。

富士通FM TOWNS
日本初のCD-ROMドライブ標準搭載パソコン。

1980年代後半~1990年代初頭にかけての時期の日本のホビーパソコンでその条件を満たすことが出来たのは、事実上、マルチメディアパソコンを標榜していた富士通FM TOWNSシリーズのみでした。

まだ1枚あたり容量1.2メガバイトのフロッピーディスクでのソフトが供給が一般的だった当時のアダルトゲームでは、CDと同じリニアPCM方式で収録された音声だけで1分あたりフロッピーディスクを8枚も使用するのは無理が過ぎたのです。

この時期のアダルトゲーム、特に「大作」と呼ばれるものは、次の節で触れるグラフィックデータの巨大化もあってPCM音源を使わないゲームですらフロッピーディスク10枚以上で構成されるものが珍しくありませんでした。その状況下で、BGMや効果音などのためにインストールに手間のかかるディスク枚数を増やすのは困難でした。

つまり、アダルトゲームでより望ましいPCM音源の搭載には、ハードディスクの普及とCPU性能の向上、それに市販ソフト供給媒体としてのCD-ROMの普及がどうしても必要だったわけです。

「肌色」表現の裏に職人芸があった

さて、サウンドがFM音源を経てPCM音源へと移行していくのと歩調を合わせるように、グラフィック画面の多色化が日本のホビーパソコンで進みました

多色化で先鞭をつけたのは、富士通FM-77AV(1985年)で、4,096色同時表示を実現。ホビーパソコンに限れば日本では以後3年ほどの間に一気に多色表示化が進みました。

しかし、残念ながらアダルトゲームがこの恩恵を受けることはほとんどありませんでした。

というのも、アダルトゲームの大半がターゲットとしたPC-9800シリーズでは、1985年7月発表の機種で4096色中16色表示が可能となっただけで、MS-DOS上で動作するアダルトゲームが終焉を迎えるまで、同時発色数がわずか16色しかない状態が実に10年以上も続いた(※一部ゲームではPC-9821シリーズの拡張グラフィック機能などを利用して256色表示に対応しました)ためです。

この間、こと日本のビジネスパソコンの本流とされたPC-9800シリーズに限れば、Windows環境が一般化するまで延々と「640×400ピクセル 4096色中8色表示」が標準であり続けたのです。

微妙な肌の色を表現したいアダルトソフトメーカー側にしてみれば、これは悪夢のような逆境でした。

ただ、不幸中の幸いと言うべきか、PC-9800シリーズには画面解像度が1985年当時のパソコンとしては比較的高い、というアドバンテージがありました。

そこでメーカー各社が選んだのが、「タイルペイント」つまり複数のピクセルを1ピクセルとして扱うことで、人間の目の錯覚を利用して絵画の点描画と同様の手法で多色表示を行っているように見せる、という手法でした。

この手法は表示される何十枚、あるいは何百枚もの線画について1ピクセルずつ延々と色を指定してゆく、という悪夢のような職人芸によって支えられていました。

氷河期を乗り越え、アダルトゲームはカンブリア紀を迎える…

こうして、画面も音楽も共に人海戦術的、あるいは職人芸的な努力に支えられて進化を続けてきた日本のアダルトゲームですが、MS-DOSの時代が終わりWindows 95の時代になると、劇的な変革が訪れました。

Crystal Semiconductor CS4231A
マイクロソフト推奨のWSS(Windows Sound System)規格準拠PCM音源チップの代表例。低コストでWindows 95対応PCM音源が実装できたため、広く普及した。

Windows 95では640×480ピクセル 256色表示のディスプレイの搭載が事実上必須とされ、さらにCD-ROMドライブとPCM音源の搭載が推奨された結果、DOSアダルトゲームでネックとなっていた問題が一気に解消されたためです。

これによりBGMもグラフィックも極端な制約がほとんどなくなり、大幅に表現力がアップしました。

この頃、アダルトゲームブランドLeafによるタイトル「To Heart」の成功で、ノベルゲームというジャンルが確立された結果、「オープニングで主題歌が流れる」ノベルゲーム仕立てのゲームが雨後の竹の子のように、あるいはまるでカンブリア爆発のようにありとあらゆる趣向を盛り込んで多数製作され、アダルトゲームの黄金時代を現出したのですが、それはこうしたハードの制約による長期的な抑圧があったからこそ起きた、言わば反動的なものだったのです。

コメントは受け付けていません。

PageTopへ